プロフィール

カウンセラーの私

はじめまして。
脱・毒親 アダルトチルドレン克服
心理学×カラーアート カウンセリング

心理カウンセラー 中村水香(みずか)です。

この度は当カウンセリングルームへお越しいただきまして誠にありがとうございます。

私が過去にカウンセリングを受けようとした際、「カウンセラーさんがどんな人物なのか」
分からないまま、「会うのは怖いなあ」という思いでした。

カウンセリングをお受けになる際は、カウンセラーとの相性がとても大切になります。
私のことを少しでも知っていただき、一歩を踏み出すきっかけになればと、プロフィールを

掲載します。

私がどのように悩み、どのような経緯で悩みを克服し、今、セラピストとして活動して

いるのか。

興味を持っていただけたら、幸いです。

 平和な幼少期

私は東北生まれ、両親と姉弟の長女で、普通のサラリーマン家庭で育ちました。

それ程、田舎でもなく、過ごしやすい環境でした。住宅地で、近所に子供も多く、よく

一緒に遊んでいました。

昆虫、蝶、トンボ採りなども出来る環境でした。幼少の頃からピアノを習ったり、

一時期は絵も習っていました。

 小学生の頃は優等生でした 

小学生の頃は、優等生で真面目で親の期待に応えようとする子供でした。母親の

干渉が強く怒るとヒステリックで恐いとも思っていました。干渉が激しかったのは

兄弟の中でも私だけだったような気もします。

父親は、仕事中心で家庭のことは母親に任せっきりという感じでした。

そして親はとても体裁を気にする、周囲の目を気にする人達でした。
私の育った所はそれ程の田舎ではないにしろ、まだまだ閉鎖性のあるところもあり、

人と同じでないといけないという風潮もありました。後に知った都会との差、

人への干渉も多く、「人に笑われないようにしなさい」と人目を気にして生きる

ことが当たり前のような部分も。自分の気持ちより人と同じことが大切。

そこからはみ出すことは許されない、そんな環境が地方の特徴だと思います。
そして未だに、その地域の独特のやり方があり、家庭、会社、その他の場所でも

その独特のルールに従わなければ、例えば先輩のやり方に従わなければやって

いけないということもあります。

長老の意見が正しい、それが当たり前になっていて、自由に意見を言えない。

全部がそうとは言いませんが、そんなことも未だにあるのが地方独特のもので、

それは都会の自由に自分を表現出来る空気とは違うものです。

自立心が芽生えた頃、高圧的な親との衝突

中学生になり自立心を持つようになると母親の言いなりにはならず、強い

反発心を持つようになっていきました。当然、衝突が多くなりました。

母親は自分の思い通りに私がならないと怒り、私には私の考えがあると言っても

全く聞く耳を持ちませんでした。子供が自立心を持つことを認めませんでした。

ヒステリックで腹を立てると私の部屋にまで来て叫んでいくこともありました。

家庭に安らぎを得るのと真逆の状態で、当時は八つ当たりされると自分も心が

荒れて、気持ちを落ち着かせるのが大変でした。家族には相談出来ませんでした。

私のことを理解してくれませんでした。私は家庭の中でのはけ口になっていた

のかも知れません。

あまり学校にも関心はありませんでしたが、文系が得意でした。詩、小説の

ようなものを書くようになっていき、またその頃から、洋楽ロックを聴くように

なりました。音楽雑誌も買って、その世界に浸る時は自由でいられました。

そしていつしか自分もそんな世界に行きたい、音楽をしたいとそんな夢も持つ

ようになっていきました。

体裁を気にする固い両親とは相容れない、アウトロー的な独特の考えを持つ

ようになっていきました。音楽が家庭という狭い閉鎖的な世界から外へ目を

向けることが出来る、唯一の安らぎの空間でした。

家を出て東京の大学へ、しかし挫折

高校には行きました。友人もいましたが、学生生活を楽しめませんでした。

文系が好きで、詩、小説のようなものを書いたりもしていました。

卒業後、家を出たくて仕方がなかったこともあり、東京の大学に行きました。

当時、心理系の本をよく読んでいた私は、仏教に惹かれていたこともあり、

仏教学部に入りました。また東京へ行けば音楽も出来るのではという思いも

ありました。
学生生活は家から離れ、色々な人との出会いもあり、自由を感じることが

出来ました。でも、心の拠り所が

なかった私は、段々自分自身が分からない状態になっていきました。大学の

講義はとても興味深いもので、サークル活動や、趣味も—色々やってみたい

ことがありました。でも体調がすぐれない状態になって、しまいには

眠れなくなったり、心理的に追い詰められた状態になっていき、結局、

大学を休学して故郷に戻って来て神経科にかかりました。そして大学も

そのまま中退してしまいました。

家へ戻ってきて社会人となり、再び親との我執

暫くは将来のことも考えられず、ぼんやりしていました。

病院には数年間かかって、診察ではただ状態を聞かれる程度で、調子が

良くなった時点で通院期間は終わりました。目標もなかった私は仕事も、

事務補助、工場、テレアポなど、点々と色々なものを経験しました。

母親は相変わらず、私という人間が自立心を持つことを許しませんでした。

それが正しいことと信じていました。私が思い通りにならないと、いつまでも

不機嫌に責めました。いくらそれがおかしいことだと説明しても、聞く耳を

持ちませんでした。
こういう親といる為には、自分を無くさないために、本当の自分と、母親の

求める自分像を演じ分ける必要がありました。表面上は言うことを聞くふりを

して、自分のやりたいこがある時は隠れてやっていました。

そうやって自分を守るようになりました。そしていつの間にか自分も病的に

なっていきました。

外出して遅くなった時は母親の機嫌を損ねるのではと、酷く恐怖心を持つ

ようになりました。

一緒にいた友人にそんな話をしても「気にすることないのに」というだけでした。

それにあまり詳しく私の状況は話せません。
家庭という閉鎖空間ではそういうことが起こり得るのです。しかし兄弟の中で

そういう状況だったのは私だけだった気がします。家族にも私の悩みは話せません

でした。

表面上は普通の家庭なのに、私だけが普通じゃない。

人間関係でも誤解を受けて、私のことを理解してもらうのは難しい場面も多々

ありました。

自分自身を見失わずに済んだのは、心が解放される音楽などの世界があったから

でした。

カウンセリングとの出会い


社会人になってから、役所関係でカウンセラーを受けれると知り、

行ってみました。
しかしただ私の話を聞くだけで、同じような経験をした人でなければ

分からないことがあることを、確認しただけでした。病院の神経科に

行ってみて、自分の家庭について話してみたこともあります。しかし

医者には「親の悪口を言うなんて、あなたが悪い。どうかしている。」

と言われただけだったので、通院することはやめました。専門家である筈の

人間の発言とは思えませんでした。

心の問題についての学問はとても遅れていると思いました。そういう話も

聞いたことがあります。

そして自分で心理学などの本をまた読んでみるようになりました。将来、

自分と同じような環境で育ち傷付き、さらにその為に外の世界でも傷付く、

そしてそれを理解されない人達の為に何かしたいと思うようになって

いきました。

私にとって家庭は安心して過ごせる場所ではありませんでした。

アダルトチルドレンという言葉を知り、そして自分がそうなのではと思った

のはずっと先のことでした。
アダルトチルドレンの特徴、その原因—それは自分にピッタリ当て嵌まって

いました。

機能不全家庭に育ち、自分自身を大切に出来ない状態のまま、外への接触を

求めて行きました。

家庭の閉鎖性を知り、様々な環境、人間がいることを知ることが出来ましたが、

自分自身が分からない状態では、人と上手く出来ず、精神的に辛いことが多い

時期でした。

そして、いつまでも心は育った環境に支配されたままでした。
音楽、文学などをしてみたいという漠然とした夢がありましたが、心穏やかに

過ごせなかったこともあり、あまり具体的な行動は起こせませんでした。

その後、色々な本などから、カウンセリングという世界について関心を持つように

なりました。かつて役所関係のところで受けたカウンセリングは、ただ私の話を

聞くだけでしたが、本当のカウンセリングはもっと奥深いものだということを

知りました。

それから心の仕組みを学んでいって、カウンセリングを受ける機会も持ちました。

そして少しずつ、自分を癒していくことが出来ました。心にも今までにないゆとりが

生まれました。
もしこういう世界があることをもっと早くに知っていたら、訳も分からずあんなに

苦しい思いをすることはなかったのではと思いました。カウンセリングを受ける機会が

あったなら、その時、無理せず、遠回りせず、自分その時々の状態も評価し、知りながら

希望を持ってやっていけていたのにと思いました。どんなに自分が辛い状態でも、

理解されす誤解されて—さらに傷付く—そんなことを繰り返すこともなく、休息を

とることも出来たのではと思いました。


親の支配から離れて

父親が亡くなった後、それまで元気だった母親が急に脳梗塞で倒れ入院、そして間もなく

後を追うように他界しました。病院、リハビリ施設など忙しく過ごした日々もひと段落し、
私には、それまで両親に抱いていた思いとは別のものが生まれました。
それまでの自分を振り返ることも出来るようになりました。親であっても完璧な人間はいない、

皆、それぞれ何かしら抱えているものだということも分かるようになりました。

色々してもらったことも振り返ることが出来ました。普段穏やかだった父親は黙って人を

見守っていてくれるような人でした。父親が亡くなった時に父の妹が「昔からそうだった—」

という話をしてくれました。

威圧的だった母親も、専業主婦として家事をして家族の為に尽くしてくれていました。親には

親の心の歪みがあったのだと思います。それを受けた自分はいつまでも支配されてしまって

いましたが、でも、そこから少しずつ、私は解放されてきています。そして自分の経験を活かし、

同様の人達の為に何かしたいと、それが自分のテーマだと強く思うようになりました。

現在の私 目指す理想の未来、想い

現在、私は、自分自身の経験を活かし、アダルトチルドレン、共依存、機能不全家庭などで

悩む人達の為のカウンセリングルームを開設して活動を始めています。

1人で悩んだままでいたら、今の私はありませんでした。

今では音楽、そして文学他も楽しんでやっています。

私は私と同じような人間がそんな風に、自立して前向きに楽しく、自分らしく

生きれるようになる手助けをしたいと思っています。

自分を変えたいという、ほんの少しの勇気で未来は大きく変わってくるのです。

傷付くことを恐れて生きるのではなく、毎日を希望を持って生きれるように、

人目を気にするのではなく、自分らしく輝いて生きていけるように—

そうなって欲しいと思っています。

私の人生は私のもの。あなたの人生はあなたのものです。

皆が自分の個性、カラーを大切にして、そして同時に思いやりの気持ちを大切にして—
そんな風な社会になっていって欲しいというのが私の願いです。