時間に追われて忙しい人より、ゆとりのある人の方が
ゴールが近い
いつも時間に追われている人と、ゆとりを持って生活している人の違い
こんな経験ありませんか?
運転中、スピードを上げて追い越して行った車に赤信号で追いついて、
急いでも結局同じことだ—と思ったこと。
朝の出勤時間、信号待ちのたびに同じ車が目の前にいる、何度かそう
なったこともあります。
早く行こう、そう思う心とは裏腹の結果—。
ウサギと亀、どちらがいいのか?
確かに急いだ方が良い結果のこともあります。
でも、必ずしもそうなるとは限りません。
それどころが、焦れば焦る程、上手くいかなくなることもあります。
必ずしも急げば良い結果が出るとは限らない。
長い目で見ると、時間に追われている人より、心にゆとりを持って
生活している人の方がゴールが近い
私は、そう思います。
なぜなら、時間に追われて、ゆとりがないために、視野も狭くなって
上手く物事を進められなくなってしまっている—
そんなことも起こり得るからです。
今日は早く出来ても、明日は分からない。
だから、落ち着いて考えてやった方が、長い目で見るとゴールが
近いのでは?そう思います。
ゆとりがないとゴールは見えない
慌てている時は、頭の中も整理されていないので、順序立てて物事を
進められなくなっていたり、優先順位を間違えていたり—そんなことも
あると思うのです。
時間に追われていても、結果は早くは出来ないのです。
ゴールがどこにあるのか?
本当はどちらに行きたいのか?
ゴールが分かっていても、遠回りばかりする—。
いつの何かゴールが見えなくなっている—。
時間に追われる生活は、永遠に続くもの—
私は日々、何かに追われるように生活していて、それでも、やることが
沢山あるのに全くこなせていない—いつの間にかそう思い込んでいる
ことが結構あります。
職場ではスピード重視と言われ、その癖が抜けず、普段も落ち着いている
ことが出来ない、急ぐ必要もない時に、ゆっくり出来ない。
ある時、友人と話していて、お互いにそうだ—と気付いた時、「何を急いで
いたんだろう?」そう思いました。
そんな時、連休に入り、ふと自分のやるべきことを書き出してみました。
全然、追いつかないと思っていた「やるべきこと」が思ったより少ない
ことに気が付き、自分でもあぜんとしました。
何かに追われていると、人とも余裕持って会話出来なくなっていたり、
それはあまり良いことではない。 「この人はいつも何を急いでいるん
だろう?」そう思われていたかも知れない—。
急ぐために急いでいた—という可笑しな話です。
そんな良くない思い込み状態に陥らないようにする為に、
普段、ゆとりを持って生活していきたい、気が付いた時は
そう思うのです。その方が、自分が本当に目指したい、ゴールが
見えてくる。
時間に追われて忙しくしている人より、ゆとりがある
人の方が、ゴールが近い
これは、大きな意味のその人の夢とか、そういうことばかりを指して
いるのではありません。
普段のささやかな日常生活の中で、そう思える場面があるのではないで
しょうか?
ゆとりを持って生活したいものだと思います。
「余裕のない人生、ゆとりのある人生、そのゴールは? 」への 1 件のコメント
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